今日は乗り物のことを考えてた。

乗り物は人生を運ぶものや運命の抽象だ。

そうだとはっきり思っていなくても、無意識は人生に悩んだ時や進路について考えた日には車や電車とかの夢を見せることが多いし、そういうとき、脳みそはものとものを勝手に紐付けているなあとつくづく感心してしまう。

そんなイメージとか抽象の力は夢だけでなくて日常にも濃淡様々に表れていると思う。

車は一人または数人で乗って運転するもの、電車は多くの人を乗せて自分を運んでくれるもので、自転車は自分が漕ぐものだ。

私は東京の電車が全然好きじゃないのだけど、例えば多くの人と一体になることが喜びで  かつ何かに身を任せたいという人は電車に乗るのが好きなんじゃないかと思った。

 

橋はわたすもの、車は運命を表して、ゾンビは不安や生死を象徴している。人間の無意識は毎日適当に生きてても、何かを見聞きするとイメージを掻い摘む。そことそこが繋がるか、みたいなとこも勝手に掬い取っている。そういうのに私達はあんまり気づいてないけれど、話せば本人も分からない内に言葉の端々に現れているし、コミュニケーションでもそこが肝になっている気がする。思考で対話していると思っていても、無意識と無意識がキャッチボールしてるだろ、みたいなことがある。無意識は勝手に抽象で遊んでいて、シンボルを勝手に作り、意識に夢を見せてくる。それが面白くて夢占いなんかごちゃごちゃ見ちゃうんだけど、一人遊びの極みかもしれない。

今日はガードレールがやたらと目について印象に残ったけど何の意味があるんだろ。