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休み


もうすぐ春が来るらしい。全然そんなこと頭になくて、もう二ヶ月くらいは凍りついた冬が続くとぼんやり捉えていたから急に暖かくなってびっくりした。早いなあ。


現実主義とは悲しいものかな。私は違うと思う。

現実主義が悲しいという人はその人が自分の現実を認められず、その人にとっての現実が悲しいだけだ。そのままの現実を見据えて自立して行動し、自分の現実を嬉しく幸せだと思える人にとっての現実は認められるものだろう。現実を見て生きるのが悲しく哀れだと言うなら、そのままに生きるという健康な生き方を否定していることになる。

そもそも現実も本物も真実も、悲しくも嬉しくも楽しくも醜くも綺麗でもなく 全てただそれだけで何の意味も価値もなく、そこにただあるだけだ。

妄想は妄想でしかないし希望は希望でしかなく、期待も期待でしかない。思うだけなら自由で楽しいけど、それが起こるなんて確信はない。それは、そうならないならばならないし、なるならばなるだけだ。過度に夢を見ることは外に求めすぎることだ。自立とは希望を叶える確率の一番高く、かつ周りも自分も気持ちの良い交流をとれる方法だと思う。

意味も価値も現実もそもそもはなく、人間がつくった。全て嬉しくも悲しくも楽しくもないのに、人間の無意識や意識がそれらへ更に感情を付加して見せたいように見せる。感覚が曖昧になってふわふわするのは楽しいけど、夢や幻は人の目を曇らせる。そのままを捉えるということは大切なことだとずっと思っている。そのままを無視するなら不可能な計画も立てられてしまう。必要なのはその逆だろう。

現実は悲しいものでもないが幸せだったり嬉しいものでもない。現実はただの現実でしかない。実が現れていると書くし、生きた結果によって各々に様々に色付くんだと思う。概念に対しての感情は後付けだ。

希望や期待よりも抽象の力を信じた方が良いと思う。希望や期待は意識による色眼鏡がかかりやすい。無意識の働く抽象は自我の感情よりも正確性を優先してくれる。アイデアや神のお告げや第六感と言われるやつはそれだ。