日記

たまに書く日記です。

寝る前

今日も疲れ気味。

人からもらったものってどこにしまっていいか分からない。

あの子前にあれが好きだなんて言ってたな、っていうのがなぜなのか今分かったりする。

 

最近、どこか居場所を見つけるんじゃなく自分の周りに居場所を作った方が住みやすいんだなって気づいた。受動より能動って忘れないように脳みそにマーカーで書いておきたい。今は

ちょっと寝よう、すぐちょっとって言っちゃうんだけど、長い方のちょっと

でも、しばらく休みたいな。できるなら引っ越しをすませたら一カ月寝たい。

休んで休んで回復するには時間って短すぎ。

元気や調子がいい 健康気味になったときに好きになったもの、新しく好きになったもの、そういうものをもっと好きになれるようになろ。きっとそうしよう。

ちょっと疲れた、また休みながらゆっくり考えよう

辛いとせっかちになってしまう、あんまり自分のそういうとこ好きじゃないんだよな

穏やかな大きい休みがほしいんだな、なんとなくそんな感じ。悪いもの取ってポメラニアン飼って癒されたい。

あんまり言いたいこともない。

書いておきたかったこともだいたい終わって、最近の出来事や気持ちが頭を埋めてる。

言いたいことを聞いてほしいあまり味付けの濃い文章になる気がする。

もっと楽にして、詰め込まない方がいいなと自分で見て思う。

ふっと生きるのって嫌だなってよくなって、

今日少し出かけて家具店が中に入ってるビルの階段を降りてたんだけど、壁に広告がボードで吊り下げられてゆらゆらしてて自分みたいだとなんとなく思った。しばらく健康になりたいと思ってるけどなかなかかなわない。他人の後押しがほしかったりいらなかったりする。

どこのグループの、どこの会社の、どこの国の、どこに属して、そんなじゃなくて、動物っていうくくりも違って、しんだら地球にうっすら張る膜みたいになりたいな。それか宇宙空間全部に引き延ばされるようなイメージ。人間の体の構造なんか一つもなくなって塊みたいになってもいい。そんなんもなくなるんだとは思うけど。

 

人がついさっきまでいた感じより、昔沢山の人がいたんだけどいない近未来? 無機質?な感じの方が安心するなと思う。

普段賑わっていないけれど、何かがあって整備されてる場所はそういう感じがする。

 

動物の動画見たりすると優しさが理解できて、犬でも飼って穏やかさや幸せを感じた方がいいかもとは思ったけど、そうしなかったらしなかったでそれはそれだなとも思う。

花粉

家でじっとしてる。

布団に入って 電気を消して目を閉じる、穏やかな曲や柔らかい口調や声を聞く、みたいなのは良い。安心感は不安をやわらげてくれるなあと思う。

何が不安なんだか自分でもよく分からないんだけど、ずっと前からかなり不安な気持ちでしょうがない。

それから、ずっとしっくりこない、どれだけ外から見たら良いものだとしても そうじゃなくても、本当に欲しいものじゃない気がする。なんか満たされない。生きて今までずっとそんな感じ。

でも本当に欲しいものが何かもよく分かってない。そんなん手に入れたり経験して分かるものかもしれんが。もしくはないのかも。その点、物はほしい!ってなって買えばちゃんと満足できるし簡単、感情や環境⁇は難しい。人間をものだと捉えてたらどうなるんだこれ

 

風呂入るだけで前向きになったりするし体温は本当に大事だな。

春は淡い桃色と薄黄のフィルターが視界にかかって、和菓子みたいな空気が満ちてるし病気って言葉が似合うと思う。

私は春は幻 病気 生命、夏は高揚、秋は思い出 過去、冬は幻 過去 嘘 眠り、だと感じる。

四季それぞれについてイメージする言葉は人によって違って面白い。自分でも過去と変わったりする。前もやったんだけどな、忘れた。

 

偉そうにする、自分がしてほしいことを他人にする、そういう癖があるなと最近気づいた。偉そうにするのは直したいけど後者はよく分からない。ちょっと考えよ

これからは穏やかに生きたいな。それなりに友達を作って適当に少し遊んで、バイトと趣味を沢山やろう。そんなんにしていたら、今は早めに死にたいと思ってるけど そのうち私も長生きしたいと思うような風になるかも。生きるのが楽しいていうの意味分かるんだけどな

死ぬのが怖い自分が消えるの怖いって何が怖いのかな、痛いのは嫌だけど人生や命がなくなるのは眠ったときのあの感じに近そう、なんて適当に感じる。本当はそんなんも何もなくなっちゃうんだろうけど

別に何もなくなってもよくない?私だって自分は大切で好きだけど、なくなってもいいし別に

何か強く生きたいと思える事ができたら?と思うけど、人間は増えて欲しくないし犬を飼うのやっぱ良いと思うんだ。

人が言葉を使い始める瞬間とか可愛らしさより人間の幼体だって感じがありありとする。人間は喋るから。自分の子供だったら違うかな

 

言葉とそれで作ったルールばっかになって感情薄いやつほど虫っぽく見えるんだよな。別にそれでもいいし、ほどほどなら好きかもしれないんだけど...

ただやっぱ完全にそんな感じの人間苦手だなあ ほんと お前機械かよって感じ

日本人ロボットのイメージあるのそれなんじゃないか

日本人、日本に対して自己愛高いからちょっとでも批判したらすぐ怒る人多くない?本音はクソだと思ってんじゃないのか、それとも嫌な部分は見てないか

幼稚で陰湿で食べ物がおいしくて治安が良くて神社があるそういう感じの国。

 

いっぱい喋った。

3月

ここ数日忙しい。ちょっと疲れた。

体調と心はどちらか一方じゃなくて、互いに影響してるなあと感じる。寒いのとかほんとに動けないし精神も悪くなってしまう。冬眠できたらいいのに。

かしこまって、気張って、文章を書く。ツイッターでちゃんと喋らないからここではしっかり文にしたいなっていうのもあるけど、何か作るとき大切な作品のようにしなくちゃいけない気がする。

 

そんなことないと思ったりするけど、やっぱり私は他人にすごいと思ってもらいたいていう気持ちがある。それがなんでなのかは今へとへとで考えられない。

ただ、だからこう、ラフな日記みたいな、

 

意味のはっきりした言葉のしっかりした文章より、曖昧でふんわりした文章の方が捉えやすいのかなとぼんやり思う。

 

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kaysaka/draft/1e-odo-ika.htm

ここの、恥は公共ルールを逸脱した怒り、ていうのは本当だと思う。他は信疑色々だけど

まあなんとなく、こうでなくちゃならない、そういうのはおかしい、みたいな観念から恥が発生すると思う。無駄ルールは苦しい

ネットとかでよく見る高慢ちきな、あの人を馬鹿にするやつ、バズってるやつ?はそういうルールとか観念を組紐にして成り立ってるじゃん。ルールとか完全に抜くことはできないから面白いと感じるけど、そこに混ざりたくないなあと思う

 ものによる

 

今日人に引かれたかな とか、怖がられたかな とか、いい物件見つかって良かった とか、食べ過ぎた とか、ぼんやり不安だな とか、好きなバンドのあの曲マジでいいな とかしか今は浮かばない。

静かめの知り合いがポジティブで全然落ち込んだりしないとか言っていて、人は見かけによらないというか、実は見た目明るそうな人の方が精神不健康な人間多いんじゃないかなんて思った。ツイッターで陰うつなこと言ってる人が案外、外ヅラよい感じとか普通だったりして、なんて考えた。大いにありえそう、どうだろ。脅迫的に自分の外見をちゃんとしたりみたいな...  年齢上がると増えそう

普段出かけないから遠出すると体力なくなってしまう

彼は人生は楽しい、長生きもしたい、死ぬのも怖いと言っていたけどどう生きてきたのかな

あんまり詮索するのはなあとか思うけど、そうやって自分と違うような人は中々周りに集まらない、結局話をするのは自分とどっか似た友達とかだから、

もっとコミニュケーションできるようになればいいかなあ わからん 難しい

皆何話すんだろう。皆何をあんなに沢山話すの?私のどうでもいい情報聞きたいのか、と思うけど、それは私が他人に対してどうでもいいなと思うからだな

ドラマとか身内の面白エピソードとか、爆笑できるレベルならいいけど、親しくないやつの聞いても楽しくないじゃん

そういうのばっか話す

あれが綺麗だった、あのときこんな場所で〜があってこんな気持ちになったみたいな話がいい

でも書いてみて思ったけど、前者が人間関係の入りで後者は親しくなってからなのかも、そうかあ

でも面白で人を魅了したところでそれが素じゃなかったら結局意味なくない?

人間関係も仕事とか道具みたいに考えるならそれもアリなのか、

は〜犬飼いたい

🌀

脳みそを全部ねんどの塊みたいに固めて吐いてしまいたい。気分が悪い。 

他人が自分の中身に干渉してくるのが本当に嫌で、苦手な相手ならなおさらもう駄目。ずたずたに割いて殺してしまいたい気持ち。赤の他人が私の中身に干渉していない、というのは一種の安心なのかも。簡単な好意をくれるのは普通に嬉しいと思う。

 

今日は柔らかい優しい人に会った。そういう人が一人いるだけで周りも和やかになる。もうなんだか積みかさなって積みかさなって皆前より荒々しくなった気がする。嫌なものも人も捨てて、健康に悪い何かは回収してもらおう。義務はあるだろうけどさっさと片して忘れて、優しく穏やかに暮らそう、そうしたい。辛い思いはしたくない。幸せも高揚した楽しさも望まないから辛くなりたくない。辛くなるとその場しのぎの、辛さよりマシな不快な感情を繰り返さなきゃいけない。辛い思いをするくらいなら幸せも楽しさもいらないし、それのために辛くなるなんて本末転倒では。

嬉しさを薄く伸ばして日常を繋いでいきたい て そういうことかもしれない。

一昨日

帰省して友達と会った。移動と 2日間色々な所へ行ったから少し疲れて、言葉がすぐ出てこない。

だいたい一年ぶりくらいに会って、勿論皆その人はその人なんだけど、一年前のままのような人もいれば、なんだか大人っぽくなったなという人もいた。それが良いのか悪いのかとかはないけれど、

ないけれど、ただもう前の教室が無くなってしまったことを感じてちょっと微妙な気持ちになった。加えてここ一年人とのコミュニケーションが少なくなったとかもあって、そこでどんな顔をしていいか分からなかった。友達が元気でいてくれれば嬉しいけど、なんか時間ていうのは目に見えなくてもしっかり厚みを持っているんだなと思う。

2日目は一人と遊びに行ってゆっくり話をしたりした。はっきりしていて輪の中心にいて友達も多いような人で、自分とは全然違う感じなんだけど、好きなのでたまに遊んだりしていた。

考えるより先に口が動くしすらすら話せるとその人は言っていて、今日話した中で私にとってはそれが未知の世界で印象に残っている。

3つ話をして1つ嘘を混ぜ、それを見抜くゲームをしたのだけど、私は嘘をつくとき右上を見るらしかった。人間は気持ち悪いけど、対話というのは面白いし、人の無意識からの表情や仕草は好きだし美しいと思う。動物は動くから動物とかくけど、人間は「動く」ということに何を感じるんだろう。それから、こういうときどう思う、というのも聞かなければ自分の中の予測だけになってしまうし、本当にそんな風に考えたり感じたりするんだなあという感慨も感動も本人から聞かないといまいち湧いてこないもんだなと思う。

あと、ゲームをしたとき気づいたのだけど、結構小さい頃からの嘘をついてはいけないていう刷り込みは大きかったらしくて嘘をつくとき心臓がばくばくした。相手は逆にすらすら嘘を言えてしまって、間違えて、すぐ否定したり後悔するみたいなこともあったりするなんて言っていて、なんだか全然感覚が分からなくて頭がぱちぱちした。演技も話すのも好きと言っていて、そういう私とは違うようなところを知りたいなと思う。私は嘘吹いたら直後にバレないかどうしても不安になって固まってしまうんだけど、明るく愛情のある人がそう言うので案外バレてもいいのかもと思える。適度さというのが大切なのかもね、と話した。

今日は素敵な日だった。時間が去っていくのは切ないんだけど、楽しかったり幸せだったりすれば忘れるものなのかな。いつも昔のことを思い出して寂しくなってしまうんだけど、長く生きれば生きるほどそれが積み重なってしまうんじゃないかと思うと怖くなる。もうすぐ新しい生活も始まるけど、こんなこと考えなくなるだろか。生きるのが楽しそうな人は過去の思い出をどう考えているんだろう。私にもそれが分かるかな。

この前の夜の

深夜、山の中の高速道路で車の後部座席に揺られるのが好きだった。運転している人も黙っていて車が走る音だけがゴーゴー聞こえる。ヘッドライトだけが道を短く照らしていて、明かりは少ない。窓からは大きな真っ黒い山が深いグレイの空を背負ってゆっくりこっちを見下ろしている。子供の頃のその場面の、不安と安心感が混じった気持ちとズレなく合致してくれる 包まれるようなそれが懐かしい。

 

暗く閉ざした部屋で毎日眠るとき換気扇の音を聴く。カーテンの隙間から壁に写る細い明かりが動いて、トンネルを連想した。気持ちも時間も子供の頃のそのときと変わらないのに、部屋はコンクリに固められ静止して動いていない。山も運転手もいないし後部座席は無い、窓の外を覗けばギラギラと遊んだ光で目が痛いだけだ。

夜、ほぼ見えない視界の中で大きく黒々と、そこにある山がとても好きだった。不安を象徴したような重い空を背景に、幻みたいだけどそこに存在している、それが今でもとても好きだなと思う。

 

今日おやつに食べたチョコレートの匂いが部屋に薄く満ちていて、ぼんやり現実に引き戻された。昼に食べ過ぎたので甘ったるくて鬱陶しいだけだった。